プロフィール

はじめまして!

苦しい過去が幸せな未来へと180度変わる
やさしいインナーチャイルドケアセラピー
カウンセラー小西なつきです。

保育が必要なご家庭への訪問保育や、
HSP、アダルトチルドレン、
愛着障害、不安障害、過去のトラウマ、子どもの不登校など
心の問題を解決する心理セラピーでサポートを行っています。


プロフィール

1986年 沖縄県生まれ 千葉県松戸市育ち

三姉妹の末っ子として生まれる

家では天真爛漫、外では借りてきた猫のように静かに振る舞う。
負けず嫌いな性格で「助けて」「手伝って」と言えない子でした。

厳しい父と優しい母に育てられ

父は昭和の時代の亭主関白で、
一つ一つ口を出す厳しい父でした。

母は専業主婦で太陽のように明るく、
どんな時も3姉妹を比較、否定せず育ててくれました。

幼少期からHSP気質

人の感情をダイレクトに感じてしまう繊細さは幼少期から。
ネガティブな感情を受け取らないよう、
小さいながらに人とは深く関わらない術を身につけていました。

社会になかなか馴染めない

社会に出ると集団行動、組織に合わせることが苦痛で人や社会と調和することが難しく、生きづらさを感じるように。

大好きな保育の仕事をしたいのに社会に馴染めない自分を責めるようになる。

30歳でオーストラリアへ留学

保育現場でシュタイナー教育の「自由の保育」に触れ、人生観、保育観が180度変わる経験をする。

帰国後、個人で訪問保育士として起業。

心理セラピストとして

姉の育児ノイローゼの経験、自身が鬱になってセラピーに救われた経験から心理や自己分析を深め、心理カウンセラーとしても活動。

訪問保育士として

訪問保育をはじめ、ママと子どものイベント、故郷沖縄では大好きな自然を守る自然保護活動(ビーチクリーン活動、保育園でのゴミ拾い活動など)も行っています。

さらに詳しいプロフィールはこちら↓

 


幼少期:HSPの繊細さと敏感さから
周りの空気をよく察知する敏感な子どもでした。


「どこにでも連れて行けた」というほど
空気を読んで静かに振る舞う大人しい私は、
赤ちゃんの頃から母におんぶされてどこにでも一緒に行っていたようです。


外では静かに装っている反面、
家の中では天真爛漫、おちゃらけたり、変な顔をしたり
心許す家族の中では思い切り自分の個性を爆発させていました。

性格は負けず嫌いで、
一度言ったら聞く耳を持たない頑固な子でした。
いい意味では1本筋の通った芯の強い子です。笑

繊細さと大胆さを持ち合わせた性質で
幼いながらに自分のアンバランスさにストレスを感じていたように思います。

人は大好きだけど、
空気を読みすぎてしまう繊細さは幼稚園時代からでした。

友達の感情を自然と読み取ってしまうため、
自分と波長の合わない子からは遠ざかる術を覚え、
極力人と関わるのは避けて過ごしていたことを覚えています


小学生〜高校時代
物心ついた時には
「人とはなんだろう」「個性ってなんだろう」
と生まれ持った個性について考えるようになりました。

時に女子同士の中にいると
「みんなで一緒」と集団行動が当たり前の環境が
とても違和感に感じていた部分でした。


誰があの子を嫌いで、この子はあの子が嫌い・・


人が人に対する
ネガティブな感情を抱いていることが簡単に読み取れてしまうため、
この頃から人に対して疑問を抱くようになりました。


それと同時に、
人の感情を先読みできてしまうことで、
意思表示をするのはとても苦手でした。


人前で発言するなんてもってのほか。
集団の中では自分を押し殺していました。

自分の個性を出したいのに
個性を出したら何を思われるのだろうか・・・


思い切り自分を爆発できないことにもどかしさを感じ、
人には心を開けずにいました


保育園へ就職が決まり、
小学校の頃から憧れていた
保育士という夢がようやく叶った瞬間


日々子どもたちに携われることは何よりの幸せでした。


毎日子どもたちの成長が見れる保育士というお仕事は
本当にやりがいがありました。

しかしながら、
順風満帆!とは言えず・・


集団行動が苦手な私は
組織の中にいることがとても苦痛でした。

社会の中の
「暗黙のルールは守るべき」
という社会の風潮は私にとって閉塞感でしかなかったです。


夢を掴んで保育士になったのにも関わらず、
社会と調和できない自分。


「もっと周りに合わせて働かなきゃ」という思いと
「なんで組織はこうなんだ」という思いが交差する日々。

自分を責め、
社会を責め、
負の感情で覆い尽くされていました


そして、
働く環境や人間関係で悩まされる日々に疲弊し
泣く泣く保育園を退職することを決断をしました。

その後は小人数で働ける、
人となるべく関わらない仕事に転職を決め、
子供服販売員や添乗員など
保育とは違う業種のお仕事も経験しました。

人間関係で悩まない環境は
ストレスがないことに気付いた反面・・・

私の本当にやりたいことって何だろう・・

保育という心からやりたい仕事ができていないことに
もどかしさを感じながら過ごす日々でもありました。


「もう一度保育を頑張ってみよう」
保育園へ復職したものの、長くは続きませんでした。


ルールに縛られた社会に調和できない自分…


同僚にも、
社会のあり方にも不満を抱きながら働く日々。

社会に対する
怒り、悔しさ、悲しみ、嘆き


これ以上違和感を持ちながら社会にいること自体が
耐えられない日々でした。


どうにもできない心の苦しみで
全てが嫌になってしまった私は、
30歳を機にオーストラリアへ留学に行くことに決めました。


その時はもう何も考えたくなくて、
しがらみから解放されたくて、本当に突拍子もなく決めました。


当時は所持金はほぼゼロ。

でも不思議とこれからどうなっていくのかなんて不安もなかったんです。


“何も持っていない“状態
というのがピッタリの状況でした。


それよりも
心の苦しみを感じる日本から出れたことで
翼が生えたように自由になれた感覚でした。

日本を飛び出して
私の人生観、保育観を覆すことになった海外での保育

ベビーシッターとしてお世話になったご家庭を通して、
シュタイナー教育の「自由の保育」に触れることができました。

シュタイナー教育の園へ子どもたちを迎えに行った時に
保育現場を見せてもらった時の衝撃は今でも忘れられません。


保育室に一歩入ると、
温かい空気で包まれる空間、心落ち着ける静かな空間。

子どもたちが活き活きと活動する姿に
私の心まで穏やかになるのを感じました。


一番衝撃だったのは、
シュタイナーの教育は「活動」がないことです。

日本の集団保育が身についていた私にとって

「朝のお集まり」
「みんなで一緒に活動する」
「みんなでご飯を食べる」

という“みんなで一緒“の活動がないことに驚きを隠せませんでした。

この時に初めて、
日本で集団に違和感を感じながら生きていたことに気づいた瞬間でした。

周りに合わせなきゃいけないなんてことはない
自分らしく生きていい

海外での保育は
自分が小さな時から感じていた集団での違和感、
生きづらさを払拭してくれましたように思います。


オーストラリアでは、
やっと住む場所、自由を手に入れることができました。

お金はなく貧乏だったのですが、
日本から離れたことで、心が解放され
少しずつ本来の自分を取り戻すことができたように思います。


しかしながら、
留学も終盤にさしかかった頃


働いていた職場で急に手がしびれを感じ、
腕を動かすことができなくなってしまいました。

生まれて初めて体の自由が効かなくなり、
頭が真っ白に…。

私の体は一体どうなってしまったのだろう・・

そんなことを考え始めたら
一気に恐怖が押し寄せてきて、
不安の渦に飲み込まれてしましました。


せっかく手に入れた現地の仕事を休まなくならなければならなくなり、働けないという現実に全て失ったような絶望感でした。

もう自分は社会から必要とされていない・・

どんどんネガティブな感情に支配され、
気付いた時には鬱のような状態でした

気がつくと涙が溢れて止まらず、
そんな弱い姿を誰にも見せられず、部屋に閉じこもるようになりました。

小さい時から泣くのを見られるのは嫌いだった私。

「いつも笑ってるね」
とみんなから言われるあまり、

笑っているところしか見られたくない
弱い部分を見せられない


そんな性格から周りの誰にも言えずに
1人で苦しみを抱えてしまいました。

それから誰にも体を壊したことを言えず、
海外で治療を始めました。

治るのかわからない痛み
そして海外での孤独の環境
とてつもない不安に襲われていました。

原因がわからない痛みと向き合い、
病院を渡り歩く日々でメンタルも限界でした

あるお医者さんに
「これは一生治らないね、痛み止めを飲み続けるしかないよ」
と言われた時に病院のロビーで泣き崩れました。

この一言で私の中で
心がガタガタが崩れていくのを感じました。


当時海外にいたことで、近くに頼れる人がおらず、
心配をかけないよう家族にすら言うことができませんでした。

その時、唯一お世話になっていた家のオーナーが
私の異変を感じ話を聞いてくれました。


痛みへの恐怖と治るかわからない不安、
心の内を素直に話すことができました。

それでも不安感を解消することが難しく、
オーナーが知人のヒプノセラピーを受けてみないかと提案してくれました。


その頃の私はセラピーというものに縁がなく、
ましてやヒプノセラピーなんて胡散臭い・・
と信じておらず、否定的だったのです。

それでもオーナーの勧めもあり、
セラピーを受けたことがきっかけで
心のしがらみから解放させてもらいました。

セラピー中は、どこからともなくたくさんの涙が流れ、
涙と一緒に心のつっかえが取れたような、そんな感覚でした。

生まれて初めて、
心が癒される感覚というものを味わった気がします。

たった一度のセラピーでしたが、
それから少しずつ心が回復していったように思います。

ヒプノセラピーがきっかけで、
心が感じる苦痛はセラピーで癒せるという
とても素晴らしい経験ができました。

あの時セラピーに出会えて心から良かったと思います。


当時オーストラリアには6つ離れた姉が住んでいました。

姉はオーストラリアで結婚し、
2人の男の子に恵まれ幸せな日々を過ごしている、そう思っていました。


オーストラリアに渡って一文無しだった私は、
少しの間姉家族の家にお世話になっていました。

そこで豹変した姉の姿を目の当たりにすることになったのです。


長男に向かってなんの抵抗もなく

「死ね!」
「お前なんかいなきゃよかった」

と、信じがたい言葉を浴びせる姉。

私は耳を疑い、
頭が真っ白になったのを覚えています。


姉は3姉妹の長女で誰に対しても優しく、
人を傷つけるような言葉をいう人ではない。

だけど我が子に対し、
心無い言葉を平気で子どもに浴びせている。

ショックでショックで
言葉も出ませんでした。


私は姉に対し正直に
「あの言葉は虐待だよ」と話しました。

そうすると彼女は大粒の涙を流しながら
どうしていいかわからない・・」と辛い胸の内を吐き出しました。

海外での孤独の育児に辛さを溜め込んでいた彼女は
毎日後悔してる・・」と辛い心の内を明かしてくれました。

長男は自閉症があり、
彼の個性を受け入れられず彼のすべきこと全てに否定する毎日。

次男と比べては後悔をし、
長男に対し申し訳ない気持ちを抱えながらも、
いざ向き合うと傷つけるような言葉をぶつけてしまう。

そんなことを繰り返してしまうこと日々に後悔して
1人でその辛い思いを心に溜め込んでいたのです。

姉はやっと心に溜め込んでいた思いを外に出したことで
「1人で抱えなくていい」と気持ちを切り替えることができました。

抱えていた苦しみを全て吐き出した後は
どんどん姉も変わり、
長男への暴言も無くなりました。
ちゃんと彼の存在と向き合えるようになったのです。


優しく家族思い、
社交的で友達思いの大好きな姉。

そんな姉が見えないところで
育児ノイローゼに陥っていたという事実にとてもショックな出来事でした。

家庭内というのは
外からは全く見えないもの。

どうにもできない思いを抱えて
子どもに向き合っている人がたくさんいるのではないか・・

そんなママたちの心の助けになりたい

姉が育児ノイローゼになった姿を目の当たりにして芽生えた感情でした。

育児ノイローゼの姉が
長男に暴言を吐いていたという事実が分かった時、
私は甥っ子をたくさんのスキンシップと無条件の愛で包みました。

傷ついた彼の心を癒すこと

それが保育者である私が一番にできることだったからです。

彼は自閉症。

親にも友達にもなかなか理解してもらえなかったんです。
いつも表情が固く、眉毛が力み、全身に緊張感がある様子でした。

HSPの性質を持つ私は、
彼の表情の変化、感情の変化が手に取るようにわかる

私のそばにいる時、リラックスしてるのがわかるんです。

当時、私がフェルトでおままごとのきゅうりを作っていた時のこと。

彼は急に私のそばにきて
「僕も作ってみたい」と小さな声で言ったのです。

「いいよ!作ってみようか」
と一緒にソーイングをしました。

お世辞にも上手とは言えない不器用な手つきで一生懸命。

彼にとって否定されずに受け入れてくれる環境
そんな場所が一番大切だったのです。

あの時一緒にきゅうりを作った穏やかな時間は今でも忘れません。

その思いは彼も同じだったようです。

彼は中学生になりますが、
あの時一緒に作ったきゅうりを捨てずに大切なものの一つとして残してくれていると姉から聞きました。


子どもにとって無条件でありのままの姿を受け止めてくれる人がいることは心の支えになる。

私の生きづらさであったHSPの気質は、
子どもの気持ちを理解できるという
私自身の個性を活かせるということに気づけた経験でした。


日本に戻ってからも体の治療は続き、
認知行動療法を行い療養を続けてきました。

そして、
同時に心理学やコーチングなどを学び、
心理の勉強を更に深めていきました。

海外でセラピーを受けたことで、
心の問題にも目を向けられるようになりました。

そして、もっと自分を知るために
自己分析を続けてきました。


その中でも私の生きづらさを払拭してくれたのは
HSPの繊細さを持つ、
HSS型HSEの診断結果がとても腑に落ちました。

HSS型HSEの特徴

外向性があり、活発で社交的に見えることから、ストレス悩みに気づかれない。
そして理解されない。

社交的かと思いきや警戒心は人一倍強い

気分の浮き沈みがあり、やる気がある時とない時の差が激しい

人が大好きなのに、人に会うと疲れてしまう。

相手の気持ちがわかってしまう分、相手に気をつかってしまい疲れてしまう。

これらが生きづらさに繋がっていたことにやっと気づくことができました。


この気質は
生まれ持った私の性質であり、個性でもあったのです。

そのことを長い間気づかずに

自分はなんでダメなんだろう、
なんで自分はできないんだろう・

そんな風に自分を責め、傷つけ、心を苦しめていました。


そして、ようやく今まで感じていた生きづらさを受け入れ、深く理解できたことで、
自分自身に対し「苦しかったね」と言えた瞬間でもありました。

心理学を学ぶことは、
自分の心と向き合うことでもありました。

今まで感じていた社会への怒り、悔しさ、もどかしさ、
そんな悪循環から脱し、心をフラットに戻す大切なことを学ぶ機会になりました。

心理学を学び、カウンセリングを学び、いざカウンセラーとしてデビューをしようとしていた矢先のこと。

思いもよらない病気が私の身に降りかかりました。

ある日突然、目の不調が現れ始め、
視力の低下、歪み、かすみ、痛み・・・

次々とあらゆる症状が襲ってきました。


突如目という大切なものが奪われ、
得体の知れない恐怖が襲ってきました。

私の目はどうなっちゃうんだろう・・・


今まで当たり前のように見ていた世界が
徐々に見えなくなることに恐怖を感じる日々でした。

そして、
病気になったことで突きつけられたのは、
何もできない自分」でした。

目が見えないので、
日常生活もままならず、誰かに頼らざるを得ない状況でした。

病院にも1人で行けず、
書類に自分の名前も満足に書けない…

人の力を借りなければならない状況に
自分の非力さ、無力さを突きつけられた気分でした。

ああ、私はなんて弱いんだろう・・・

自分の突きつけられた状況を受け止めるのは
とても勇気のいることでした。

どうして
病気になんてなっちゃったんだろう・・・

自分の置かれた状況を受け止め、
病気と向き合うまではたくさんの葛藤がありました。

それでも病気と向き合うことができたのは、
「助けて」と周りに素直に言えたことでした。

1人では何もできないことを受け止め
自分の弱さを受け入れる」ということができた瞬間でした。

病気を通して見えてきたのは、

「強くなきゃ」
「弱音は吐かない」
「誰にも頼らない

強がって人に甘えられない
インナーチャイルドが心の奥底に隠れていたのです

本当は
「臆病で怖がりな自分」
を隠して生きてきたことにようやく気付けた経験だったのです。

本当は臆病なのに、
「強くなきゃ」という思いに縛られ、
頑張って生きてきたこと。


そんな自分を受け入れられた時、芽生えた思いは

「私、頑張りたくない!」
「もっと人に甘えたい!」


今まで感じたことのない感情が
心の底から湧いてきました。

自分のインナーチャイルドに気づいてあげられた今。

自分自身に
「よく頑張ってきたね、ありがとう」
と言うことができました。

病気になって、
やっと・・自分の大切な
インナーチャイルドを抱きしめ、癒してあげることができたのです。

今は大切なことを教えてくれた
この病気に心から感謝しています。

13年以上保育に従事してきて思うこと。

子どもたちはどんな時も真っ新で純真無垢。

素直に泣いて笑って
自分を表現できる天真爛漫な子どもたちの存在に、
私は幾度となく救われてきました。

私自身、幼少期に
人の顔色ばかりを伺って上手く自分を表現できなかった。

そんな経験もあり、
子どもたちにはありのままの姿を表現できる環境を作り出し、
ありのままでいられる保育に努めています。


幼少期の親や近しい人の関わりは
人生を左右すると言ってもいいほど、とても重要な関わりです。

子育てを通して見えてくるものは、
自分の育った環境、親から受けた行為、言葉・・

自分では気付かなかった違和感が
我が子に対して忠実に表れるのが子育てだと感じています。

私の目指すママも子どもも
幸せな子育て

保育士である私が目指す保育は

子どもたちのありのままを受け止め、
生まれ持った個性を最大限に活かすこと。

真っ新な子どもたちにできることはこれで充分です。

そして
ママにとって必要なこと


それは忙しくて忘れがちな
心のケアです。

現代は孤立しがちな子育てです。
育児書やSNS、たくさんの情報の渦にどれが正解なのか、


自分の子育ては間違っていないか・・
人と違うのはだめ・・

色んな感情の揺らぎがあると思います。

私が大切にしたいのは人間の個性です。

子どもの個性も
ママの個性も大切にしたい。

あなたの心に隠れているインナーチャイルドを癒して、
あなたらしい子育てを楽しみましょう。

ママがインナーチャイルドに気付いて、
抱きしめられた時、きっと子どもの個性も全て受け止められる。

子育ては辛いものではなく、
女性にとって人生を彩る尊い経験となります。

一緒に素晴らしい子育てを目指していきましょう!

最後に


私がセラピーに出会ったのは偶然で、
自分からセラピーに行こうなんて思ったこともなかった人生でした。

たまたまのご縁で、
たまたまセラピーに出会い、
セラピーに救ってもらいました。


今思うとあの時セラピーに出会っていなかったら、
今の自分はどうなっていたんだろうと思ったりもします。


30年以上自分の個性に気づけず、
生きづらさに気づけず、
周りを、社会を責め、自分自身の体も心も苦しめていた。

もっと早く心理を知り、自分を知り、
心理療法に出会えていたら、
こんなに苦しまずに済んだのにと思います。

そう思うと
戻らない時間に悔しさを感じたりもします。


私の留学したオーストラリアでは、
保険適用になるほどセラピーがいたって一般的でした

誰しも心に違和感を感じたら、
カウンセリングに行きます。

目が痛ければ眼科に行くように、
お腹が痛かったら内科に行くように目に見える痛みには敏感です。

心が苦しいと感じたら
セラピーを受けるのが普通なのです。

私は日本人には特に心のケアが必要だと感じています。

もっともっとカウンセリングを気軽に受け、
心の苦しみから解放される人が増えてほしいと願って活動しています。

特に子育て中のママは子どものこと、
旦那さんのこと、家事に仕事・・

忙しさに飲み込まれて、
ママの心は置き去りになってしまう環境です

子どもの成長は、
どれだけ願っても巻き戻せない、一瞬一瞬が尊いものです。


子どもの成長を愛おしく見守っていくためには、
まずはママの心が大切なんです

HSP、アダルトチルドレン、
愛着障害、不安障害、過去のトラウマ、子どもの不登校など
子育てで感じるあなたの違和感の原因をセラピーで解消していきましょう。


カウンセリング心理療法は初めての方、
今まで受けたけど効果を得られなかった方もぜひサポートさせていただきます。