プロフィール


はじめまして!
心理セラピストの小西なつきです。

・HSPの生きづらさで悩んでいる方
・感覚が繊細過ぎてなかなか社会になじめない方
・自分らしく生きられていないと感じる方
・漠然とした悩みを感じている方
・違和感を感じながら生きている方
・子育ての正解がわからなくて苦しんでいる方 etc


これらの
お悩みや苦しみを感じている女性へ向けて、

リーディングや対話を通して
自分らしさを見つけるセッションを行っております。


私は幼少期から
ずっと生きずらさ
(HSP・カサンドラ症候群・霊性)を感じながら過ごしてきました。


物心ついたころから社会になじめず、
一人で過ごすことが何よりの自由と感じていました。


今は、生きづらさから抜け出し、
自分らしさを見つけ、
保育士としても、セラピストとしても活動をしています。


私自身、幼少期から集団は苦手で
孤立し、一人でいることも多かったのですが、
なぜか周りは私を頼って
相談事をしてきてくれることが多かったです。


ですが、
聞き役になることはあっても、
なかなか自分が心を開いて話せる場所はありませんでした。



そんな時、カウンセリングに出会い
自分の本音を人生で初めて話すことができました。


初めて自分の本音を
耳を通して聴くということをすると
涙がとめどなく溢れたのを覚えています。


セッションは
安心して話せる場所

そして
話す相手が何より重要です。


私とあなたの間に、
信頼関係が築けるかどうか
セッションの方向性も変わってしまいます。


私は、
あなたの信頼できる場所でありたい。


そう考えていますので、
まずはプロフィールを読んでいただき、
「小西なつき」がどんな人であるか
それを知っていただきたいです。


最初に申し上げると、
自分で言うのもおこがましいですが、
私には行動を起こしてきた歴史が
たくさんあります。


(自分で振り返ってみても
目まぐるしくて疲れるくらいです。)



見出しを付けていますので
気になるところを
読んで、知っていただけると幸いです。



もし、読んでいただいて
「なつきさんになら話せるかも」

そう思っていただければ大変嬉しいですし
ぜひその感覚を信じてご連絡ください。


あなたとの感覚がリンクし、
少しでもお力になれたらうれしく思います。


 



幼少期:HSPの繊細さと敏感さから
周りの空気をよく察知する敏感な子どもでした。



「どこにでも連れて行けた」というほど
空気を読んで静かに振る舞う大人しい私は、
赤ちゃんの頃から母におんぶされてどこにでも一緒に行っていたようです。


外では静かに装っている反面、
家の中では天真爛漫、おちゃらけたり、変な顔をしたり
心許す家族の中では思い切り自分の個性を爆発させていました。

性格は負けず嫌いで、
一度言ったら聞く耳を持たない頑固な子でした。
いい意味では1本筋の通った芯の強い子です。笑

繊細さと大胆さを持ち合わせた性質で
幼いながらに自分のアンバランスさにストレスを感じていたように思います。

人は大好きだけど、
空気を読みすぎてしまう繊細さは幼稚園時代からでした。

友達の感情を自然と読み取ってしまうため、
自分と波長の合わない子からは遠ざかる術を覚え、
極力人と関わるのは避けて過ごしていたことを覚えています


小学生〜高校時代

物心ついた時には
「人とはなんだろう」「個性ってなんだろう」
と生まれ持った個性について考えるようになりました。



時に女子同士の中にいると
「みんなで一緒」と集団行動が当たり前の環境が
とても違和感に感じていた部分でした。


誰があの子を嫌いで、この子はあの子が嫌い・・


人が人に対する
ネガティブな感情を抱いていることが簡単に読み取れてしまうため、
この頃から人に対して疑問を抱くようになりました。


それと同時に、
人の感情を先読みできてしまうことで、
意思表示をするのはとても苦手でした。


人前で発言するなんてもってのほか。
集団の中では自分を押し殺していました。

自分の個性を出したいのに
個性を出したら何を思われるのだろうか・・・


思い切り自分を爆発できないことにもどかしさを感じ、
人には心を開けずにいました


保育園へ就職が決まり、
小学校の頃から憧れていた
保育士という夢がようやく叶った瞬間


日々子どもたちに携われることは何よりの幸せでした。



毎日子どもたちの成長が見れる保育士というお仕事は
本当にやりがいがありました。


しかしながら、
順風満帆!とは言えず・・


集団行動が苦手な私は
組織の中にいることがとても苦痛でした。

社会の中の
「暗黙のルールは守るべき」
という社会の風潮は私にとって閉塞感でしかなかったです。


夢を掴んで保育士になったのにも関わらず、
社会と調和できない自分。


「もっと周りに合わせて働かなきゃ」という思いと
「なんで組織はこうなんだ」という思いが交差する日々。

自分を責め、
社会を責め、
負の感情で覆い尽くされていました


そして、
働く環境や人間関係で悩まされる日々に疲弊し
泣く泣く保育園を退職することを決断をしました。

その後は小人数で働ける、
人となるべく関わらない仕事に転職を決め、
子供服販売員や添乗員など
保育とは違う業種のお仕事も経験しました。

人間関係で悩まない環境は
ストレスがないことに気付いた反面・・・

私の本当にやりたいことって何だろう・・

保育という心からやりたい仕事ができていないことに
もどかしさを感じながら過ごす日々でもありました。



「もう一度保育を頑張ってみよう」
保育園へ復職したものの、長くは続きませんでした。



ルールに縛られた社会に調和できない自分…


同僚にも、
社会のあり方にも不満を抱きながら働く日々。

社会に対する
怒り、悔しさ、悲しみ、嘆き


これ以上違和感を持ちながら社会にいること自体が
耐えられない日々でした。


どうにもできない心の苦しみで
全てが嫌になってしまった私は、
30歳を機にオーストラリアへ留学に行くことに決めました。


その時はもう何も考えたくなくて、
しがらみから解放されたくて、本当に突拍子もなく決めました。


当時は所持金はほぼゼロ。

でも不思議とこれからどうなっていくのかなんて不安もなかったんです。


“何も持っていない“状態
というのがピッタリの状況でした。


それよりも
心の苦しみを感じる日本から出れたことで
翼が生えたように自由になれた感覚でした。



日本を飛び出して
私の人生観、保育観を覆すことになった海外での保育。


ベビーシッターとしてお世話になったご家庭を通して、
シュタイナー教育の「自由の保育」に触れることができました。

シュタイナー教育の園へ子どもたちを迎えに行った時に
保育現場を見せてもらった時の衝撃は今でも忘れられません。


保育室に一歩入ると、
温かい空気で包まれる空間、心落ち着ける静かな空間。

子どもたちが活き活きと活動する姿に
私の心まで穏やかになるのを感じました。


一番衝撃だったのは、
シュタイナーの教育は「活動」がないことです。

日本の集団保育が身についていた私にとって

「朝のお集まり」
「みんなで一緒に活動する」
「みんなでご飯を食べる」

という“みんなで一緒“の活動がないことに驚きを隠せませんでした。

この時に初めて、
日本で集団に違和感を感じながら生きていたことに気づいた瞬間でした。

周りに合わせなきゃいけないなんてことはない
自分らしく生きていい


海外での保育は
自分が小さな時から感じていた集団での違和感、
生きづらさを払拭してくれましたように思います。


オーストラリアでは、
やっと住む場所、自由を手に入れることができました。

お金はなく貧乏だったのですが、
日本から離れたことで、心が解放され
少しずつ本来の自分を取り戻すことができたように思います。


しかしながら、
留学も終盤にさしかかった頃


働いていた職場で急に手がしびれを感じ、
腕を動かすことができなくなってしまいました。

生まれて初めて体の自由が効かなくなり、
頭が真っ白に…。

私の体は一体どうなってしまったのだろう・・

そんなことを考え始めたら
一気に恐怖が押し寄せてきて、
不安の渦に飲み込まれてしまいました。


せっかく手に入れた現地の仕事を休まなければならなくなり、働けないという現実に全て失ったような絶望感でした。

もう自分は社会から必要とされていない・・

どんどんネガティブな感情に支配され、
気付いた時には鬱のような状態でした

気がつくと涙が溢れて止まらず、
そんな弱い姿を誰にも見せられず、部屋に閉じこもるようになりました。

小さい時から泣くのを見られるのは嫌いだった私。

「いつも笑ってるね」
とみんなから言われるあまり、

笑っているところしか見られたくない
弱い部分を見せられない


そんな性格から周りの誰にも言えずに
1人で苦しみを抱えてしまいました。

それから誰にも体を壊したことを言えず、
海外で治療を始めました。

治るのかわからない痛み
そして海外での孤独の環境


とてつもない不安に襲われていました。

原因がわからない痛みと向き合い、
病院を渡り歩く日々でメンタルも限界でした

あるお医者さんに
「これは一生治らないね、
痛み止めを飲み続けるしかないよ」


そう言われた瞬間、
病院のロビーで泣き崩れました。

この一言で私の中で
心がガタガタが崩れていくのを感じました。

当時海外にいたことで、
近くに頼れる人がおらず、
心配をかけないよう家族にすら言うことができませんでした。


その時、唯一お世話になっていた家のオーナーが
私の異変を感じ、話を聞いてくれました。


痛みへの恐怖と治るかわからない不安、
心の内を素直に話すことができました。

それでも不安感を解消することが難しく、
オーナーが知人のヒプノセラピーを受けてみないかと提案してくれました。



その頃の私はセラピーというものに縁がなく、
ましてやヒプノセラピーなんて胡散臭い・・
と信じておらず、否定的だったのです。

それでもオーナーの勧めもあり、
ヒプノセラピーを受けたことがきっかけで
心のしがらみから解放させてもらいました。

セラピー中は、どこからともなくたくさんの涙が流れ、
涙と一緒に心のつっかえが取れたような、そんな感覚でした。

生まれて初めて、
心が癒される感覚というものを味わった気がします。

たった一度のセラピーでしたが、
それから少しずつ心が回復していったように思います。

ヒプノセラピーがきっかけで、
心が感じる苦痛はセラピーで癒せるという
とても素晴らしい経験ができました。

あの時セラピーに出会えて心から良かったと思います。


当時オーストラリアには6つ離れた姉が住んでいました。

姉はオーストラリアで結婚し、
2人の男の子に恵まれ幸せな日々を過ごしている。そう思っていました。


オーストラリアに渡って一文無しだった私は、
少しの間姉家族の家にお世話になっていました。

そこで、
豹変した姉の姿を目の当たりにすることになったのです。


長男に向かってなんの抵抗もなく

「死ね!」
「お前なんかいなきゃよかった」

と、信じがたい言葉を浴びせる姉。

私は耳を疑い、
頭が真っ白になったのを覚えています。


姉は3姉妹の長女で誰に対しても優しく、
人を傷つけるような言葉を言う人ではない。

だけど我が子に対し、
心無い言葉を平気で子どもに浴びせている。

ショックでショックで
言葉も出ませんでした。


私は姉に対し正直に
「あの言葉は虐待だよ」と話しました。

そうすると彼女は、
大粒の涙を流しながら
どうしていいかわからない・・」と辛い胸の内を吐き出しました。

海外での孤独の育児に辛さを溜め込んでいた彼女は
毎日後悔してる・・」と辛い心の内を明かしてくれました。


長男は自閉症がありました。

彼の個性を受け入れられず、
彼のすべきこと全てを否定してしまう毎日。

次男と比べては後悔をし、
長男に対し申し訳ない気持ちを抱えながらも、
いざ向き合うと傷つけるような言葉をぶつけてしまう。

そんなことを繰り返してしまうこと日々に後悔して
1人でその辛い思いを心に溜め込んでいたのです。

姉はやっと心に溜め込んでいた思いを外に出したことで
「1人で抱えなくていい」と気持ちを切り替えることができました。

抱えていた苦しみを全て吐き出した後は
どんどん姉も変わり、
長男への暴言も無くなりました。
ちゃんと彼の存在と向き合えるようになったのです。


優しく家族思い、
社交的で友達思いの大好きな姉。

そんな姉が見えないところで
育児ノイローゼに陥っていたという事実にとてもショックな出来事でした。

家庭内というのは
外からは全く見えないもの。

どうにもできない思いを抱えて
子どもに向き合っている人がたくさんいるのではないか・・

そんなママたちの心の助けになりたい

姉が育児ノイローゼになった姿を目の当たりにして芽生えた感情でした。


育児ノイローゼの姉が
長男に暴言を吐いていた。

そんな事実が分かった時、私は甥っ子を
たくさんのスキンシップと無条件の愛で包みました。

傷ついた彼の心を癒すこと

それが保育者である私が
一番にできることだったからです。

彼は自閉症。

親にも友達にもなかなか理解してもらえなかったんです。


いつも表情が固く、
眉毛が力み、全身に緊張感がある子でした。

HSPの性質を持つ私は、
彼の表情の変化、感情の変化が手に取るようにわかる


私のそばにいる時、
リラックスしてるのがわかるんです。

当時、私がフェルトでおままごとのきゅうりを作っていた時のこと。


彼は急に私のそばにきて
「僕も作ってみたい」と小さな声で言ったのです。

「いいよ!作ってみようか」
と一緒にソーイングをしました。

お世辞にも上手とは言えない不器用な手つきで一生懸命。

彼にとって否定されずに受け入れてくれる環境
そんな場所が一番大切だったのです。

あの時一緒にきゅうりを作った
穏やかな時間は今でも忘れられません。

その思いは彼も同じだったようです。

彼は中学生になりますが、
あの時一緒に作ったきゅうりを
捨てずに大切なものの一つとして残してくれていると姉から聞きました。


子どもにとって、
無条件でありのままの姿を受け止めてくれる人がいることは心の支えになる。

私の生きづらさであったHSPの気質は、
子どもの気持ちを理解できるという
私自身の個性を活かせるということに気づけた経験でした。


日本に戻ってからも体の治療は続き、
認知行動療法を行い療養を続けてきました。

そして、
同時に心理学やコーチングなどを学び、
心理の勉強を更に深めていきました。

海外でセラピーを受けたことで、
心の問題にも目を向けられるようになりました。


そして、もっと自分を知るために
自己分析を続けてきました。


その中でも私の生きづらさを払拭してくれたのは
HSPの繊細さを持つ、
HSS型HSEの診断結果がとても腑に落ちました。

HSS型HSEの特徴

外向性があり、活発で社交的に見えることから、ストレス悩みに気づかれない。
そして理解されない。

●社交的かと思いきや警戒心は人一倍強い

●気分の浮き沈みがあり、やる気がある時とない時の差が激しい

●人が大好きなのに、人に会うと疲れてしまう。

●相手の気持ちがわかってしまう分、相手に気をつかってしまい疲れてしまう。


これらが生きづらさに繋がっていたことにやっと気づくことができました。


この気質は
生まれ持った私の性質であり、個性でもあったのです。

そのことを長い間気づかずに

自分はなんでダメなんだろう、
なんで自分はできないんだろう・

そんな風に自分を責め、傷つけ、心を苦しめていました。


そして、ようやく
今まで感じていた生きづらさを受け入れ、深く理解できたことで、自分自身に対し「苦しかったね」と言えた瞬間でもありました。

心理学を学ぶことは、
自分の心と向き合うことでもありました。

今まで感じていた社会への怒り、悔しさ、もどかしさ、
そんな悪循環から脱し、心をフラットに戻す大切なことを学ぶ機会になりました。


心理学を学び、
カウンセリングを学び、
いざカウンセラーとしてデビューをしようとしていた矢先のこと。

思いもよらない病気が私の身に降りかかりました。

ある日突然、目の不調が現れ始め、
視力の低下、歪み、かすみ、痛み・・・

次々とあらゆる症状が襲ってきました。


突如、目という大切なものが奪われ、
得体の知れない恐怖が襲ってきました。

私の目はどうなっちゃうんだろう・・・


今まで当たり前のように見ていた世界が
徐々に見えなくなることに恐怖を感じる日々でした。

そして、
病気になったことで突きつけられたのは、
何もできない自分」でした。

目が見えないので、
日常生活もままならず、
誰かに頼らざるを得ない状況でした。

病院にも1人で行けず、
書類に自分の名前も満足に書けない…

人の力を借りなければならない状況に
自分の非力さ、無力さ
突きつけられた気分でした。

ああ、私はなんて弱いんだろう・・・

自分の突きつけられた状況を受け止めるのは
とても勇気のいることでした。

どうして
病気になんてなっちゃったんだろう・・・

自分の置かれた状況を受け止め、
病気と向き合うまではたくさんの葛藤がありました。

それでも病気と向き合うことができたのは、
「助けて」と周りに素直に言えたことでした。

1人では何もできないことを受け止め
自分の弱さを受け入れる」ということができた瞬間でした。

病気を通して見えてきたのは、

「強くなきゃ」
「弱音は吐かない」

「誰にも頼らない

強がって人に甘えられない
インナーチャイルドが心の奥底に隠れていたのです

本当は
「臆病で怖がりな自分」
を隠して生きてきたことにようやく気付けた経験だったのです。


本当は臆病なのに、
「強くなきゃ」という思いに縛られ、
頑張って生きてきたこと。



そんな自分を受け入れられた時、芽生えた思いは

「私、頑張りたくない!」
「もっと甘えたい!!」


今まで感じたことのない感情が
心の底から湧いてきました。


自分の本音に気付けたとき、

やっと私が私に戻れた

そんな気持ちでホッとしました。


自分の大切な大切なインナーチャイルドに気づいてあげられた今。

自分自身に
「よく頑張ってきたね、ありがとう」
と言うことができました。

病気になって、やっと・・
自分の大切なインナーチャイルドを抱きしめ、癒してあげることができたのです。

今は大切なことを教えてくれた
この病気に心から感謝しています。

14年以上保育に従事してきて思うことがあります。


子どもたちは
どんな時も真っ新で純真無垢。

素直に泣いて笑って
自分を表現できる天真爛漫な子どもたちの存在に、
私は幾度となく救われてきました。

私自身、幼少期に
人の顔色ばかりを伺って
上手く自分を表現できない子でした。

そんな経験もあり、
子どもたちには
ありのままの姿を表現できる環境を作り出し、
ありのままでいられる保育に努めています。



幼少期の頃は、
親や近しい人の関わりは
人生を左右すると言ってもいいほど、
とても重要な関わりとなります。



自分の育った環境、親から受けた行為、言葉・・


子どもたちは日々浴びる言葉や、
周りの大人を見本に大きくなっていきます。




日々いい言葉に触れ、
たくさん遊んで、笑って、泣いて。


この世界は楽しい!


そう感じながら
日々を幸せに過ごしてほしい。



私が子どもたちに望んでいることは
こんなささやかですが、
でもそれが確かな幸せだと感じています。

保育士である私が目指す保育目標には


子どもたちのありのままを受け止め、
生まれ持った個性を最大限に活かす。


これを掲げています。

真っ新な子どもたちには
「足すもの」なんかまったくありません。


私が保育士として14年従事して確信したことでした。



私がサポートしたいその先には
「ママ」がいました。



訪問保育士として、家庭にお伺いし
子育てのリアルを目の当たりにすると
保育園で保育士しているだけでは見えないものがたくさん見えました。


子どもを優先してばかりで
自分の時間を取れない

カッとなって怒っては後悔を繰り返したり

子どもへの関わり方も分からず一人で悩んだり・・


現代は孤立しがちな子育てです。
育児書やSNS、
たくさんの情報の渦にどれが正解なのかわからなくなってしますのです。


自分の子育ては間違っていないか・・
人と違うのはだめだよね・・

感情の揺らぎも当然あると思います。


こんな感情の揺らぎは
ママだけに限ったことではありません。



独身でも、バツイチでも
子どもがいても、いなくても
みんな同じように


孤独や、我慢、
「女性だから」という縛り
いろんな苦しみを抱えていると思います。


女性は「感じる」という
感性豊かな女性性を持っています。



感情の揺らぎ
これを感じられるのは女性性ならではのことです。



この「感じる」ということを
ほとんどの人は否定してしまいます。


こんなふうに思っちゃいけない
こんな私はだめ



感じることを敵にしないで、味方にする。



それが女性が女性として
人生を生きていくための
大切な「諦め」でもあり、「覚悟」だと思っています。



私はこの「感じること」を通して
すべての女性がありのままでいられること。


そんな世界をつくっていきたいと本気で思っています。

私がセラピーに出会ったのは偶然で、
自分から”セラピーに行こう”なんて思ったこともなかった人生でした。

“たまたま”のご縁で、
“たまたま”セラピーに出会い、
セラピーに救ってもらいました。


今思うと、
あの時セラピーに出会っていなかったら、
今の自分はどうなっていたんだろう・・と思ったりもします。


30年以上自分の個性に気づけず、
生きづらさに気づけず、
周りを、社会を責め、自分自身の体も心も苦しめていた。

もっと早く心理を知り、自分を知り、
心理療法に出会えていたら、
こんなに苦しまずに済んだのにと思います。

そう思うと
戻らない時間に悔しさを感じたりもします。


私の留学したオーストラリアでは、
保険適用になるほどセラピーがいたって一般的でした

誰しも心に違和感を感じたら、
カウンセリングに行きます。

目が痛ければ眼科に行くように、
お腹が痛かったら内科に行くように
目に見える痛みには敏感です。

心が苦しいと感じたら
カウンセリングを受けるのが当たり前なのです。

私は日本人には
特に心のケアが必要だと感じています。


もっともっと、
カウンセリングを気軽に受け、
心の苦しみから解放される人が増えてほしいと願って活動しています。

HSP、アダルトチルドレン、
愛着障害、不安障害、過去のトラウマ、子どもの不登校など
あなたの感じる違和感の原因をセラピーで解消していきましょう。



カウンセリングや心理療法は初めての方、
今まで受けたけど効果を得られなかった方もぜひサポートさせていただきます。

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